DOGS AND BOOKS

人生は犬と一緒に歩いて身近な自然にかくれた秘密を探す旅。とくに犬に学ぶ旅は終わりのないライフワーク。

コペルニクス的転回の「自然共生」

こんばんは。
セミは100%リサイクル可

夕散歩していたら事切れたセミをアリたちがせっせと解体中のところに出くわしました。
ガリバーと小人みたいな
左下にダンゴムシがいてその上に黄色い細長い物体をたくさんのアリが取り囲んでいます。
写真撮った時は気付いてなかったけど、うちに帰ってよ~く見たら発見しました。
たぶん、これはセミの腹部の一部なんじゃないかな?

ぱっと見た瞬間セミはリサイクル率100%だなあなんて感心しちゃった

昨日、ヒグマと老漁師のテレビ番組から人と自然の共存について書いてみました。



ところで共存と共生って同じ意味かな?と思いちょっと辞書など見たところ…
共生は互いにバランスを保って上手く関わりを持って生きることという意味なのに対し、共存は互いの関係は抜きにして、それぞれが同じ世界に共に存在することを意味しているようです。

関係し合うかそうでないかってところが違うようですが、そもそもこの地球上で生きているあらゆる生命体は他の生命体と無関係に生きることは出来ないですよね。
なので、共存といった場合にも他の生き物との関わりなしに存在することは不可能なので、結局は同じなのかな?

ということで昨日に続いて「自然と人間の共生」について興味深い記事をひとつシェアしてみます。



国立環境研究所の研究者の方が2008年に書かれた記事です。

自然と人間の共生=自然共生には、生態系を人間中心に考えることから、生態系自体を中心として考えるという発想の転換が必要だとおっしゃっています。
それはあたかもコペルニクスが地動説を唱えた時のようなコペルニクス的転回であると。


また、コペルニクスが地動説を唱えた時、彼がそれまでの天動説を覆すのに十分な観測結果を持っていたわけではないと言います。ここは少し驚きますね。こんな突飛な説を主張するのだから、ちゃんとエビデンスを持って自信があったのだろうと思っちゃいますもん。

では、なぜそのエビデンスのない説がのちに正しいと認められるに至ったのか?

科学的真理は,観測事実の単純な積み重ねから得られるものではなく,何らかの価値があると思われる概念を前提として見いだされると,クーンを始めとした多くの現代科学哲学者は主張します。


地動説という新しい価値があったからこそ、その後の科学がそれを検証しようとする方向へ発展していったのだということ。
さらに、それは単なる科学的事実としてだけでなく、それ以前の万物の理論を捨て、世の中を支配していたキリスト教的世界観までもを変えていったと言います。




「自然と共生する」ということは人間の営みのために自然を利用することだけでは実現できない。
そこには、人間以外の生命への理解を深めて、それらの身になって考えていくことが必須。

さて、ここで再び犬と人の関係になぞらえてみると…。
私たち人にとって不都合な問題が犬にあると思ったとき、私たちがまず一番初めにすることは「犬という種」を知ること。これがすべての土台になるのだろうと思います。
犬とはどんな生き物なのか?を謙虚に理解する事ですね。

安易に、犬を人間都合で変えようとすることで、犬の犬らしさを捻じ曲げてしまうことのないように、自戒もこめて。


さて、自然共生という概念が生まれてからすでに40年ほどが経ったようですが、この価値がこれからの私たちの世界をどのように変えていくのでしょう…
この価値が確かなものと認められるまで生きていられるかわからないですけどね