DOGS AND BOOKS

人生は犬と一緒に歩いて身近な自然にかくれた秘密を探す旅。とくに犬に学ぶ旅は終わりのないライフワーク。

人と動物の共存って

こんばんは。


昨日、公園にある湿地帯の木道を歩いていた時のテルモの後ろ姿を撮ってみました。
リード持って歩きながら撮影ってむずかし~~い

最近、テルモが公園に行く目的はキツネ探しみたいです。
湿地帯は夏になって緑が繁茂し森が深くなってるんですねえ。
キツネが潜み易いのでしょう。
何度か5m~3m以内でキツネと出くわしてしまっているので、もうターゲット絞ってるんですよね。
嗅覚聴覚視覚フル回転でガッシガッシ歩いてます。
後ろ足の筋肉がムッキムキと浮き出て。

これまでほぼ10年都会暮らしだったテルモでも自然の中で動物の匂いや気配を察知して、また実際に遭遇して確信を持つことで、眠っていた探知能力が覚醒したかのよう。

そんな散歩に一緒に付き合っている母ちゃんのほうも、この頃、鼻が良くなったなあと感じます。
森ってこんなにいろんな匂いしてたんだなあ…って気づきました。

今日から4連休の方もいらっしゃるのですね。
我が家は父ちゃんの仕事が土日祝日無関係なので通常運転してますが。
というか、犬がいると休日だから大寝坊とかはないですね~。
毎日が通常運転



今日たまたまかけていたテレビでこの番組を見ました。
もう何度目かの放送らしいので、すでにご覧になった方もいらっしゃるでしょうか。

知床半島の海で短い夏の間、海岸にある番屋で寝泊まりしながら漁をする古参漁師と野生の熊たちとの暮らしぶりを描いた番組。

熊との距離が近いんですよ、とっても。
漁師は決して熊にエサを与えたりしません。
あわよくば漁のおこぼれに預かろうとうろつく熊に向かって、漁師は低くドスの聞いた声で一喝するのです。
その声で熊はすごすごと離れて行く。
この距離以上は決して近づかないという鉄壁の掟ですね。
これがあって、互いの生活エリアがギリギリのところで棲み分けされている。
その厳しさは凄まじいものがありますね。
決しておててつないで仲良くなるということではないのですよ。なってはいけない。

海洋環境の変化で漁師たちも漁獲量が極端に減った年、熊たちもエサをとれずどんどんとやせ細っていく。空腹に耐えきれず熊が絶対距離を越えてたびたび人に近づいて来てしまう異常事態に。
子熊がついに餓死しその亡骸を悼むようになめ続ける親熊。
そんな時、偶然息絶えたイルカが波打ち際に打ちあがったのを発見した老漁師は、熊が見つける前に沖に流されぬようにロープで護岸にイルカを括り付けて去ります。
空腹の熊はそれを見つけて久しぶりにお腹いっぱい食べて山に帰って行く。

人間が野生の熊にギリギリ出来ることはここまで…と言う老漁師。

もう…このシーンは思わず涙がこぼれてしまいました。
その後、ユニセフの調査員が訪れて云々と続くわけですが以下省略

老漁師の言葉が心に残りました。

『動物がこの場所で暮らすのも自然の一部。人間がここで暮らすのも自然の一部。』

自然との共存とか共生とかよく耳にするようになりましたが、それは「仲良く手を取り合って」というようなお花畑なものではないんだなあと。
互いの生活テリトリーを鉄壁の掟で守り抜いていくということ。それは互いのテリトリーを決して侵さず物理的にも心理的にも『棲み分ける』ということなのだと。

このところ、犬の学び舎でも紹介されて読んで来た五箇先生もそれを強調していらっしゃったところで今日この番組を見てピンと繋がりました。

さて、犬という別の種を人の世界に招き入れて暮らしている私たち。
私たちは、犬をあたかも尻尾の生えた犬型人間のように扱っていない?
もし、そうだとしたらそれは間違いだよね。
犬は犬で、人間は人間です。


犬は犬だから愛されるわけですね。

犬らしさを愛しましょうよ!
犬らしさを奪ったらいけませんよ…