DOGS AND BOOKS

人生は犬と一緒に歩いて身近な自然にかくれた秘密を探す旅。とくに犬に学ぶ旅は終わりのないライフワーク。

「センス・オブ・ワンダー」から散歩を捉え直してみる

9月19日(土)はテルモと一緒に白幡山をガイドさん付で散歩してきました。
犬連れにはちょうど良い山道。お天気もほどほど

夕方はいつもの公園へ。
平岡公園夕空
夕空の雲がきれいだったな~。
今日は朝1時間、午前に山歩き2時間強、午後にはいつもの農業学校の校庭でちょこっと散歩、夕散歩1時間と一日いっぱい外で遊びました。
合間の午後も車に乗っていたので、一日中家族全員で外回り

さすがに帰宅してご飯食べたら、ボロ雑巾よろしくキューバタンで夢の中へのテルさんです。



昨日、この本を読みました。

センス・オブ・ワンダー
レイチェル カーソン
佑学社
1991-06T



レイチェル・カーソンさんは「沈黙の春」の著者で有名。
沈黙の春」は昔から噂で小耳には挟んでいましたが出版当時は興味ない典型的都市型人間だった

先週、図書館をぶらついていて偶然見つけて借りた時に「沈黙の春」の著者だと気づいた(遅っ)

ああ、こんな世界があったんだなあ・・・と深く深く心に染み入る文章と写真。
本編は60頁にも満たない短い本です。
どの頁を開いて読んでも、美しい森や月夜や嵐の海を見下ろす岸壁に自分が立っているような錯覚に引き込まれます。

テルモが来て3年半が経ちましたが、「犬の森」で犬を知る楽しみを得て、その次に訪れたのは自分の周りにある世界を犬と共に探検する喜びです。
私は、子ども時代は高度経済成長のど真ん中で、身近な自然を一緒に楽しんでくれる大人もあまりいないまま育ってきたような気がします。
今まで自分が素通りしていた世界をテルモがいま一緒に歩いていくれている。
「犬とはそういう存在である」という大切な気づきにたくさんの出会いが導いてくれたとしみじみと感じています。



”The Sense of Wonder”

この言葉を邦訳するのは少し難しい。
だから、いくつかの出版社と幾人かの翻訳者から出版されているけど、邦題はすべてこれをカタカナにした「センス・オブ・ワンダー」です。

自分の中で今までずっと眠っていたsenseに再会したような本。
でも、テルモと一緒の「今ここ」でなければ、再会はなかったかもしれないな。

共鳴した一節を引用します。

子どもといっしょに自然を探検するということは、まわりにあるすべてのものに対するあなた自身の感受性に磨きをかけるということです。それは、しばらくつかっていなかった感覚の回路をひらくこと、つまり、あなたの目、耳、鼻、指先のつかいかたをもう一度学び直すことなのです。



私には、子どもを犬に読み替えてもちゃんと通じる。

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テルモが来てからの3年半で一番大きく変化したのは「犬の散歩」の概念でしょうか。
散歩って犬の運動とか気分転換なのかなあ、ぐらいに思っていました。
いやそういう単純なもんじゃないぞと。

犬同士の社交の場
犬にとっての絶好の社会化の場
犬が犬らしさを最大限に発揮する場
と、どんどん、ひと枠ずつ外側へと散歩に対する考え方は押し広げられました。

そして、今は、犬の散歩は犬だけでするものではない。
いや当たり前なんですけど
犬の傍らに人がいるということの意味=犬と人が共にいることで広がる可能性みたいなものをさらに捉え直したほうがいいなと感じているところ。

人は「犬を人の世界へ」招き入れるガイド
犬もまた「人を犬の世界へ」招き入れるガイド
犬と人は、さらに新しい世界を共に探検するバディ
どっちが上でも下でもないです。

まだまだ犬の世界に暗黙知のように蔓延っている支配性理論。
今は、それがどれだけ意味ないもので、どれほど犬と人の関係を矮小化してしまうものか、よくわかります。

すべての犬たち、動物たち、自然に畏敬の念を。
それには、人はthe sense of wonderの復権を…

その先に見えるものはなんだろ~?