DOGS AND BOOKS

人生は犬と一緒に歩いて身近な自然にかくれた秘密を探す旅。とくに犬に学ぶ旅は終わりのないライフワーク。

『ここにも古典的条件づけ?!』からのその奥深さへ

こんにちは。

テルモ地方も道路がだいぶかわいて春めいてきました。

いつも行く公園は市内では有名な梅の名所です。開花が待ち遠しい。

 

今日は,以前にnoteに書いた記事をブラッシュアップしてこちらに転記してみます。

 

Hayakawa Books & Magazinesさんのnote↓本の紹介記事です。

www.hayakawabooks.com

 

記事の中に自分の名前を覚えて、呼ばれた順にエサを食べに行くブタの話が出てきます。

ブタが「自分の名前を習わされた」というところ。さらりと書かれていますが、これって古典的条件づけで覚えさせたんじゃないだろうか?

記憶しやすいのは『三音節の女性名(note中より)』だそうで、1週間のトレーニングをしたと。

それは、きっと、ある一頭の前で「ブルーンヒルデ」と呼んで、エサを与えるという手続きだったんじゃないだろうか?ベルが鳴って肉がもらえたパブロフの犬と同じ手続き。

名前を覚えさえるプロセスについて本に詳しく書かれているかどうかはわからないのですが。

古典的条件づけは,学習の一つの法則です。

ところで「学習」っていったいなんでしょう?

心理学的にはつぎのように定義されているようです。

 

学習とは、経験によって生じる比較的永続的な変化のことをいう。
(実森正子・中島定彦著「学習の心理ー行動のメカニズムを探るー」p.2より引用)

 

もしかして、学習というのは、意味を与えることなんじゃないだろうか?とふと思いました。

 

古典的条件づけという学習プロセスは、条件づけされる動物や人はまったく受動的にそこにいるだけでいいんですよね。条件づけがうまくいけば、ブタと人の間で「名前」という音声サインを媒介として、「同じ意味を共有する」ことができる。そこで、人間とブタが「意味を共有すること」は、ひとつのコミュニケーションチャンネルが生まれたことにもなるのでは?

 

犬の学び舎では,古典的条件づけを応用した「名前を呼んでおやつ」という取り組みがあります。

 

charliemama3.hatenablog.jp

 

上の記事から以下に引用しました。 

 

名前が良い刺激になるし、名前の後に良いことが起きるということもできるし、それは 名前は契約、ということであると言えるかなと思います。

架け橋ですね。

きっと良いことがある。

 

名前に意味を与える。

その同じ意味を架け橋として犬と人が意思疎通できるということでもありますね。

 

特別に「さあ,名前を呼んでおやつやりますよ!」なんてしなくも(もちろんそれでもOK),何かおいしいものをあげる前に「テルモ♪」と心をこめて呼べばいいだけです。

 

 ブタさんの話に戻りますね…

ブタに名前をつけて呼んだところ,見事に呼ばれた一頭だけがエサ箱に進んで,ブタたちの食事時の修羅場は解決されたそうです。

 

 

 今日も読んでくださってありがとうございます(。・ω・。)ノ♡&✌