ざわつく心をなだめるもの
朝ん歩の途中、幼稚園の中から子どもたちが歌う声が聞こえてきました。
その声があまりにも元気いっぱいで無邪気で可愛らしくて思わず足が止まりました。
この歌声を収めたくてテルモの画像でビデオ撮影しました。
じっと座らせてカメラを向けておくのもテルモに気の毒なので、おやつをあげながら録画。
録画をやめたあともしばらくベンチに腰掛けて歌声のシャワーを浴びていたのです。
テルモは「歩かないの?」という感じで私を見上げていました。
『どうしたら私が感じているこの温かい気持ちをテルモにも伝えられるだろう?』
と思い、歌を聴きながらおやつを上げました。
おやつはテルモには生まれながらに嬉しいもの。
その嬉しいものが出て来る状況にある様々なもの…
子どもたちの歌声、それを聞いている私の姿、その私が発している匂い…
そうしたものとおやつがワンセットになってくれたらいいなあと思って。
刺激と刺激がワンセットになる=古典的条件づけですね。
私がこの時、古典的条件づけを使ってみようと思った意図は
「私のこの気持ちをテルモに伝えたい」ということでした。
でもこのような目的で古典的条件づけを使うのが正しいことなのかどうか。
意図したことが達成できるのかどうか。
それはわかりません。
こんなことをしなくても、テルモはこの場面で私が発している表情や匂いを直接感じ取って
『母ちゃんなんだか嬉しそうだな。』と思っていたかもしれません。
どなたさまも、引き続きていねいな手洗いを頑張りましょう