DOGS AND BOOKS

人生は犬と一緒に歩いて身近な自然にかくれた秘密を探す旅。とくに犬に学ぶ旅は終わりのないライフワーク。

世の中は少しずつ確実に変わっている

ごぶさたでした。

去年,認知症の父の記事を書いてからぱたっと記事を書けなくなってました。

それでも,なぜだか2月はPVが100あったというお知らせを見てそろそろ書けそうな気がして戻って来ました^^;;

 

認知症の父の話は,普段ブログに来ていらっしゃらない方にも読んでいただいたようです。

リアルでお会いした何人かのかたから

「読みました。ひとごとには思えない。」

「泣けてしまいました。」

などなど直接にご感想をいただいて,書いた本人が少し驚きながらも本当に有り難かったです。

年代が近いかたには,ご自分の周りでも似たような体験をされているのだと思います。

また,認知症であるがゆえの,一見すると反社会的な行動の前に,自分自身も戸惑うのに加えて,世間様からの目に慄きながらの日々を続けていらっしゃるかたも大勢いらっしゃるはずと思います。

何がどうあれば正解なのかはわからないことばかりですね。

 

山本おさむ「どんぐりの家」全7巻

学生時代以来とてもお世話になっている恩師がいよいよ退職なさるという連絡をもらいました。

それで,先月からゼミの卒業生どうし声を掛け合って,入れ代わり立ち代わりで先生の研究室の片付け…という名の散らかし(笑)にお邪魔しています。

そのときに,こちらの漫画全7巻を譲っていただきました。

 

私は一度社会人になってから,キャリアを中断して大学に入学したというストレートではない進路をたどりました。大学後はまた数年間仕事をしたのですが,やはり学びを続ける必要を感じて,仕事しながら大学院に…。

仕事を持っての学生は,やはりなかなかに難しく,とてもたくさんの人に迷惑もかけお世話してもらい,そのうえ,途中で結婚や出産があり…で大学院は博士課程を中退するまで数えると,都合7年間ぐらいお世話になりました。

 

大学院の授業のなかで,障害児の通園施設へ半年間程の臨床実習に行きました。その期間にちょうど発刊され話題になって,夢中で読んでいたのが山本おさむさんの「どんぐりの家」でした。

 

漫画には,自閉症や聴覚や知的発達に困難のある子どもとその家族の日常がたくさん描かれています。そのことが,当時,そうした子どもたちとの接点が少なかった学生の私には,その一端を知る貴重なよすがとなっていたものです。

 

久しぶりに,ページをめくり当時の実習での子どもさんや親御さんたちとの記憶と相俟って,実に懐かしくしみじみしました。

そして,あの頃よりもはるかに涙腺が崩壊しやすい年代のいま,また,自分もたった一人ですが子育てを経験した身となりました。漫画に登場してくる親御さんたちの胸に去来する苦しさや喜びがひとつひとつあの頃の何倍も響いてくるんですよね。

 

そして,懐かしさついでに,当時職場で発刊していた紀要に投稿したレポートをおそるおそる検索して読んでみました。

1995年の研究ノート,メモに毛の生えたようなものです^^;;

 

「日常場面での自閉症児の特徴に関する報告」

 

このレポートのなかで,今は犬の勉強で読んでいるテンプル・グランディンさんの本を引いて,子どもたちの行動の解説を試みています。自閉症の子どもの行動に隠されている意図を読み解きたかったんですね。

実は,この子どもらの行動は一見すると私たちには不可解に見えるけれど,その子の思考回路の中で確固たる理由があるのだということを気づかせてくれたのが,「どんぐりの家」だったのです。

 

第一巻に,清くんという自閉症のお子さんのエピソードが出てきます。なぜか清くんは石ころが大好き。父親がやっているパン屋さんのパンを並べるトレーに石を並べたり,死にかかったセミの前にいくつも石を並べたり・・・

そういう,ちょっと不思議な行動がもとで学校のお友だちからもひどくからかわれる。

お母さんもなぜ清くんがそんな行動をとるのかさっぱりわからず言葉も通じず,いつ終わるともわからない苦労に押し潰されてしまう毎日。いっそこの子と遠い世界に飛んでいってしまいたいと思い極まったそのとき。

線路をまたぐ陸橋から夕陽が美しく見えた。気がつくと清くんはそれをじっと眺めていたかと思うと,足元に落ちている石ころを拾い陸橋の手すりの上にひとつずつ並べ始めた。その石ころと同じ目線から,清くんは夕陽をじっと眺めていた。

それを見た瞬間にお母さんは気づきます。清くんは,石ころに夕陽を見せてあげようとしていること,石ころに「ゆうひだよ,きれいだね。」と話しかけているに違いないということに。

 

私は,この場面を読んで実習で出会っている子どもたちの奇異な行動にも,みんなその子なりの理由があるということを確信しました。

 

そう思って,子どもたちを見るとそれまでとはまるで違う世界が見えるような気がしました。なにより,子どもたちとどんなふうに関わったら良いのか,正直なところ,とても戸惑っていたんです。それがいつの間にかなくなっていくのを感じました。

 

という訳で,この体験を機に,その人になってみることは不可能。それでも,なんとかしてその人だったらどうするだろう?どう考えるだろう?という,徹底的に相手目線になることを諦めないことを学んだ・・・ような気がする(自信ない^^;;)

気恥ずかしいぐらい若かったですねえ…

 

犬を学び始めて,あのときの気づきはもしかしたら今の伏線になっているのかもしれない。

犬の言葉も,完全に理解することは不可能,真実は誰にもわからない。

だけどわかろうとすることを諦めない。

それは,あのときとまったく同じです。

そして,なんの因果か,またテンプル・グランディンさんの本に再び出会うご縁をつないでもらいました。

悩みながら「どんぐりの家」を夢中で読んでいたあの頃から,かれこれ30年近く

 

悩みは消えてなくなってはいませんね。

でも諦めはしていません。

世界中の犬と人が幸せに暮らせますように。

何かできることがあるかもしれない。

犬とか生きづらさを抱える子どもたちという窓を通して,世界を見る目も少し変わりました。

見ようとしなければ見えない世界があること。

 

これからも,私はずっと学びつづけていくんでしょうね…。

答えはないですからね

でも,こうやって悩み続けていく人がひとりふたりさんにんといること

それが,塵が積もるように重なって,ふと振り返ってみたら「あの頃とは違う」

そう思えるんじゃないだろうか

 

「どんぐりの家」に書かれている家族の日常・・・

すっかり良くはなっていないけれど,『今なら少しちがうかな。』と思えるところもあります。

きっと犬の世界もそんなふうに少しずつ良くなっていくと信じています。

 

今日も読んでくださってありがとうございます(。・ω・。)ノ♡&✌