こんばんは。
週末、久しぶりに父ちゃんも一緒に馴染み公園をテルモと散歩しました。
お日様たっぷりのよいお天気で、紅葉はもうだいぶ終わってきてるけど木々の間から射す光がきれいでした。
木道を歩いている途中、落ち葉がハラハラハラハラと舞い降りて来て思わずみんなで立ち止まり見上げていました。
ちょっと音楽つけてみました♪
カラスがかあかあ言ってますね(^^)
いま、犬の学び舎の希望者でグループを作って条件づけについて勉強しています。
特に古典的条件づけは、このブログでも何度か書きました。
パブロフの犬がベルの音が鳴るだけでよだれを出すようになった学習の仕組みのことです。
例えば、名前を呼んでからおやつをあげることを繰り返せば、名前がおやつをもらえる前触れとなって、名前だけで犬はよだれが出るようになります。
こうして、犬を飼ったら何をおいてもまずは「名前を呼んでおやつ」を折に触れて行っています。
ところで、名前を呼ばれたことによって犬にはどんな変化が現れるのか?
「よだれを出す」ということだけなのか?
「名前を呼んでおやつ」を実践している多くの犬仲間が疑問に思っていることなんです、実は。
十分に条件づけされた犬は、名前を呼ばれると実に嬉しそうな素振りで私たちの元にやってくるのです。
ただただ、生理的反応として唾液が出ているだけではないよね?と誰もが感じています。
犬仲間ではダントツに評判の高いテンプルさんの本。
この本にも、古典的条件づけ、オペラント条件づけの話はいろいろな章で何度か出てきます。その中のひとつを引用紹介します。
パブロフの犬のベルの音も、お金も、いい成績もみな生まれながらの欲求を満たす一次強化子と結びついて二次強化子であることを述べたあとで
ところが、ドーパミンと「探索」システムについてもっとよくわかっている現在では、報酬に対する考え方が変わってきている。報酬になるのは、その物自体ではなく、それを期待している時間だ。ある意味では、実際に何かを手にいれたときより、追い求めているときのほうが楽しいのだ。(132頁より)
さらに、続けて次のように。ここでのクリック音は「名前を呼んでおやつ」の名前と置き換えて読んでもOKです。
クリック音は報酬ではない。「もうすぐほうびがもらえるよ」という合図だ。クリック音が「探索」システムを刺激し、それによって「期待する」という、とても心地よい状態になる。(132頁より)
まさに、犬と暮らすお仲間さんたちが、みな同じように感じている名前を呼んだあとの嬉しそうな姿、これはおやつを「期待する」ことによって得られた「心地よい状態」そのものといえるのではないか?
このように考えると、生まれながらに好きなもの=おやつ以上に、二次強化子であるクリック音や名前や褒め言葉が犬にとって快の感情をもたらす力を持っているのではないか?
そんなふうに思えて来ます。