DOGS AND BOOKS

人生は犬と一緒に歩いて身近な自然にかくれた秘密を探す旅。とくに犬に学ぶ旅は終わりのないライフワーク。

映画「こころの通訳者たち」とbody languageとか

こんにちは。

 

昨日,この映画↓を見て来ました。

 

cocorono-movie.com

 

映画館に行くこと自体,何十年ぶりでした。

そして,映画館でこれまた何十年ぶりの旧友にばったり。

そして,何十年ぶりの狸小路を歩き

素敵なカフェに行ったあと北海道庁本館で木育パネル展を見学。

パネル展は,誰もいなくてただ各種パンフを置いているだけでちょっとがっかり。

でも興味を引かれたパンフはもらってこれました。

 

さて,映画のこと

「凛然グッドバイ」というお芝居に手話通訳をつけた手話通訳劇が話の始まり。

演劇に手話をつける。

ただセリフを手話にするだけでなくて通訳者も演者として舞台で演じる。

なので手話演者というのが正しいでしょうか。

それだけでも,かなりレア度高い。

そういうのがあるんだなあ…

さらに,その手話通訳劇を目の見えない人に届けようという試みが立ち上がった。

その試みに挑んだ皆さんのドキュメンタリー映画です。

そして,その映画自体にも聞こえない人のための字幕付き,見えない人のための音声ガイド付き…となっている。

わかります?^^;

 

場面によってはすごく多重な音声が流れて来るんですね

だから,一回見たぐらいではちゃんと見切った気がしない

一回だけで安直に「素晴らしかったわ!」と言ってしまったら失礼にあたらないか?

それが正直な感想です。

 

実は何十年ぶりに再会した友人は全盲なんです。

だから,UDcastで副音声のガイド聞きながら見てたんだと思います。

その彼女が,まさに私と同じ感想をサイン会で山田怜於監督に話されていました。

「頭を整理しながら,もう何度か見たいですね。」

私だけじゃなかったところにちょっとほっとした次第。

 

映画の中から,特に私が「犬の変態さん」的視点で『お!』と思ったところをふたつご紹介します。

 

演劇の手話は,言葉をそのまま手話にする訳ではありません。

どちらかと言えば「演者の表現しようとしているものを手話にする」のですね。

 

だから,手話演者は表情や視線も意図的に使います。

実は,手話とはもともとそういう言語であるということを映画を見て知りました。

表情にも視線にも文法があるのだと。

 

特に視線・・・ひとりの手話演者のかたが

「視線には誘導の意味がある」とおっしゃっていました。

そう言えばそうですよね。

二人で会話しているとき,話し手が視線をどこか別のところに投げると,聞き手は思わずそちらを見ますよね。

犬も視線を使って語りけてきますよね。

視線で自分がほしいものを示してきますでしょう?

おやつがほしいとき,おやつを入れたタッパ―に視線を投げたあと飼い主を見つめる。

一度で通じなければ,それを繰り返す。

そのとき,飼い主も犬の投げた視線のほうを思わず見ますね。

 

そして,もうひとつ。

また,別の手話演者が「瞬きには意味がある」とおっしゃいました。

ある場面,手話での発話と発話の間で瞬きをされたんですね。

それを「あの瞬きは不要でした。」と振り返っていらっしゃるんです。

 

どうです?

 

視線

まばたき

 

どちらも犬のボディランゲージですよね!

人間だって同じで

耳が聞こえない人達はずっとこうしてそれを意図的に使い文法化していたんだ

改めて思いましたね

 

犬の学び舎で学んでいる私は,犬のボディランゲージを知ってそれを私たちも使います。

やればやるほど気がつくのです。

 

自分も同じことしているなあと。

 

相手に圧迫感を与えないようにそれとなく視線をはずしたり(犬は視線を合わせない)

顔の向きを変えてみたり(犬ならhead turn)

 

弧を描いて近づくことこそしませんが

着席行動ではどの位置に座るかとても気にします。

私は,よほど親しい間柄=家族とかを除けば,できるだけ対面にならないような位置取りをしようとします。

実はこういうのは社会心理学では既に研究されて定番化している知見です。

 

昨日,映画のあとに行った素敵なカフェ

ひとりだったので気にしませんが

小さなティーテーブルのあちら側とこちら側の対面席

親密な仲の人と行くのがおススメ^^;;

雰囲気が予想できるエントランス

はじめてのレモンコーヒー美味しかった

親しくても私が一番落ち着けるのは「カウンターに隣り合って座る」ですね。

ずっと目を合わせないで過ごせるから。

そういう意味で私はカウンター席がけっこう好きです。

 

「犬の変態さん」以外の視点でもたくさんの発見がある映画でした。

ふつうのシネコンでは上映しないタイトルなので

気軽におススメしずらいのですが…

 

GWはどこも混雑してるから遠出はしないという

関東圏のかたはぜひシネマ・チュプキ・タバタでご覧になってくださいませ。

シネマ・チュプキを作った平塚千穂子さんは

この映画のプロデューサー兼出演者でもあります。

 

そして,シネマ・チュプキは日本で唯一

見えない人も,聞こえない人も,感覚過敏の人も,赤ちゃん連れの人も

みんなで一緒に映画を見れるユニバーサルシアターです。

 

横浜に住んでいるうちに行けばよかった…

 

今日も読んでくださってどうもありがとうございます(。・ω・。)ノ♡&✌

 

 

 

初のエスコンフィールドへ

2023年4月2日

 

われらが自慢の(笑)エスコンフィールドへ行って来ましたよー!

うちの夫はファイターズが北海道に来るもっとずっと前から

前身チームだった時代からのファンです

もちろん,ファンクラブ会員

 

私はというと

野球は実は小学生ぐらいからずっと暮らしのそばにありました

と言ってもplayerとしてでなく

父が大のアンチ巨人ファン(笑)

夏の夜といえばラジオで巨人戦ナイター中継を聞きながら

家で仕事していた(自営業でしたので)

その隣室で聞こえて来るナイター中継の音をBGMに遊んでいた記憶

 

大人になってから一度だけ父と一緒に球場に行ったことも

そんなわけで遺伝的にも環境的にもアンチ巨人ファンとして育った私です(笑)

 

なので,なんとなく野球は好きだし,ファイターズも好きです

 

エスコン行のバスは,長い長い行列でしたー。

人生でこんな長い行列に並んだのは,息子がまだ小さかった頃行った東京ディズニーランド以来です。

でも,行き先はエスコンなので一ミリも文句言わず,行列待ち中も寒かったけどるんるん

 

さあ来たぞ!エスコンフィールド

エスコン内の階段窓から外の遊び場が見える

おお!テレビでよく見た景色だ

実は,バス待ちが長すぎて球場到着時にはすでに試合始まってました。

ま,今日のところはいいのいいの^^;;

外野のずっとずっと上のほうの席

札幌ドームに比べて,球場全体がきゅっと小さく感じた。

たぶん,上の階ほど傾斜がきつくなっているせいかな?

みんなが言ってたようにダイアモンドが近く感じるってこういうことなのね。

デッキから見える遠くの山並みはどこ?

さすがに北広島…遠くの山まできれいに見えてました

お天気も良かったのでね。

 

試合は残念ながらファイターズ負けてしまったけど

エスコン見学無事終了!

 

エスコンにはユニ・チャームがsponseredしている犬と観戦できる専用ブースが3つ設けられてましたよ。

ただ…当然ですが,野球は応援の声が大音響…あの大騒音の中にワケもわからず何時間もいなくちゃいけないのは,犬的には楽しいとは言えないかも…

とりあえず犬連れを推奨できるアミューズメントとは言えなさそう

少なくとも,ウチ的にはよんどころなき事情がない限りテル同伴はしないかな

野球観戦に犬連れで行かねばならぬ「よんどころなき」事情はおそらく訪れそうにないし。

 

ということで

テルさんは江別の親戚宅でお預かりお願いしてました。

いつもお世話さまです♡

 

また行きたいし,きっともう一度くらいは行くと思いますが

やっぱりちょっと遠いですね

特に平日ナイターだったら終了時刻によってはうちまでたどり着けないかも?

 

今日も読んでくださってありがとうございます(。・ω・。)ノ♡&✌

何十年ぶりにニセコへ

この春から新社会人になった息子が3月末に久々の帰省をしていました。

社会人になれば,そう長い休みもとれなくなりそう…

ということで,久しぶりに家族全員でニセコに行って来ました。

そうは言っても父ちゃんは土日しか休めないので一泊二日の家族旅行

 

それから,なんだかんだあっという間に一か月が過ぎてしまいました^^;;

 

写真でざっと振り返ってみます

 

 

初日は息子の希望で小樽を駆け足で見物…

小樽定番の運河沿い

 

運河といえば古い石造りの倉庫

港は波静かでした

泊まりはニセコアンヌプリのペンション

敷地内にあるバーはライトアップしておしゃれ

バーからカクテルをルームサービスしてくれた

犬連れで泊まれるところ,これまでも何度か利用しています。

が,部屋にカクテルをルームサービスできたのは初めて。

珍しくおしゃれな飲み物で家族全員でカンパイ!

テルさんは持参の骨でカンパイ!

翌日は今回のメインイベント,スノーシュートレッキング

歩く地面の下はまだ2m以上の積雪

うさぎの巣穴発見

巣穴前にはうさぎの足跡

ガイドさんも不思議がっていた大きな穴ぽっかり

ツタウルシの実!はじめて見た

説明中のガイドさんの隣でサブガイド気分のテルモ(笑)

ここは沼の上,冬は凍って歩ける

ツアー終わりに大発見したトガリネズミ

ガリネズミはガイドさん曰く,早く出て来過ぎて寒くて死んじゃったのかな?と。

 

スノーツアー中に息子がいろいろ発見してたのが意外でした。

なんか動物的勘が冴えていたらしい…

 

素晴らしいガイドさんで,テルモのことも温かく見守ってくださり

終始「おりこうさんだね~。」と声かけてくれてました。

ほんと,久しぶりの3人と一頭での旅

短かったけどずいぶん楽しい時間を過ごせました

 

ガイドさん

ペンションのみなさん

運転の父ちゃん

遠くから帰って来てくれた息子

そしてテルさん

 

どうもありがとうね。

 

一か月過ぎた今振り返ると

この森のスノーシュートレッキングは今年のこれからの活動を暗示するようなアクティビティだったのかも?その話はまたおいおい…

 

今日も読んでくださってありがとうございます(。・ω・。)ノ♡&✌

『ここにも古典的条件づけ?!』からのその奥深さへ

こんにちは。

テルモ地方も道路がだいぶかわいて春めいてきました。

いつも行く公園は市内では有名な梅の名所です。開花が待ち遠しい。

 

今日は,以前にnoteに書いた記事をブラッシュアップしてこちらに転記してみます。

 

Hayakawa Books & Magazinesさんのnote↓本の紹介記事です。

www.hayakawabooks.com

 

記事の中に自分の名前を覚えて、呼ばれた順にエサを食べに行くブタの話が出てきます。

ブタが「自分の名前を習わされた」というところ。さらりと書かれていますが、これって古典的条件づけで覚えさせたんじゃないだろうか?

記憶しやすいのは『三音節の女性名(note中より)』だそうで、1週間のトレーニングをしたと。

それは、きっと、ある一頭の前で「ブルーンヒルデ」と呼んで、エサを与えるという手続きだったんじゃないだろうか?ベルが鳴って肉がもらえたパブロフの犬と同じ手続き。

名前を覚えさえるプロセスについて本に詳しく書かれているかどうかはわからないのですが。

古典的条件づけは,学習の一つの法則です。

ところで「学習」っていったいなんでしょう?

心理学的にはつぎのように定義されているようです。

 

学習とは、経験によって生じる比較的永続的な変化のことをいう。
(実森正子・中島定彦著「学習の心理ー行動のメカニズムを探るー」p.2より引用)

 

もしかして、学習というのは、意味を与えることなんじゃないだろうか?とふと思いました。

 

古典的条件づけという学習プロセスは、条件づけされる動物や人はまったく受動的にそこにいるだけでいいんですよね。条件づけがうまくいけば、ブタと人の間で「名前」という音声サインを媒介として、「同じ意味を共有する」ことができる。そこで、人間とブタが「意味を共有すること」は、ひとつのコミュニケーションチャンネルが生まれたことにもなるのでは?

 

犬の学び舎では,古典的条件づけを応用した「名前を呼んでおやつ」という取り組みがあります。

 

charliemama3.hatenablog.jp

 

上の記事から以下に引用しました。 

 

名前が良い刺激になるし、名前の後に良いことが起きるということもできるし、それは 名前は契約、ということであると言えるかなと思います。

架け橋ですね。

きっと良いことがある。

 

名前に意味を与える。

その同じ意味を架け橋として犬と人が意思疎通できるということでもありますね。

 

特別に「さあ,名前を呼んでおやつやりますよ!」なんてしなくも(もちろんそれでもOK),何かおいしいものをあげる前に「テルモ♪」と心をこめて呼べばいいだけです。

 

 ブタさんの話に戻りますね…

ブタに名前をつけて呼んだところ,見事に呼ばれた一頭だけがエサ箱に進んで,ブタたちの食事時の修羅場は解決されたそうです。

 

 

 今日も読んでくださってありがとうございます(。・ω・。)ノ♡&✌

世の中は少しずつ確実に変わっている

ごぶさたでした。

去年,認知症の父の記事を書いてからぱたっと記事を書けなくなってました。

それでも,なぜだか2月はPVが100あったというお知らせを見てそろそろ書けそうな気がして戻って来ました^^;;

 

認知症の父の話は,普段ブログに来ていらっしゃらない方にも読んでいただいたようです。

リアルでお会いした何人かのかたから

「読みました。ひとごとには思えない。」

「泣けてしまいました。」

などなど直接にご感想をいただいて,書いた本人が少し驚きながらも本当に有り難かったです。

年代が近いかたには,ご自分の周りでも似たような体験をされているのだと思います。

また,認知症であるがゆえの,一見すると反社会的な行動の前に,自分自身も戸惑うのに加えて,世間様からの目に慄きながらの日々を続けていらっしゃるかたも大勢いらっしゃるはずと思います。

何がどうあれば正解なのかはわからないことばかりですね。

 

山本おさむ「どんぐりの家」全7巻

学生時代以来とてもお世話になっている恩師がいよいよ退職なさるという連絡をもらいました。

それで,先月からゼミの卒業生どうし声を掛け合って,入れ代わり立ち代わりで先生の研究室の片付け…という名の散らかし(笑)にお邪魔しています。

そのときに,こちらの漫画全7巻を譲っていただきました。

 

私は一度社会人になってから,キャリアを中断して大学に入学したというストレートではない進路をたどりました。大学後はまた数年間仕事をしたのですが,やはり学びを続ける必要を感じて,仕事しながら大学院に…。

仕事を持っての学生は,やはりなかなかに難しく,とてもたくさんの人に迷惑もかけお世話してもらい,そのうえ,途中で結婚や出産があり…で大学院は博士課程を中退するまで数えると,都合7年間ぐらいお世話になりました。

 

大学院の授業のなかで,障害児の通園施設へ半年間程の臨床実習に行きました。その期間にちょうど発刊され話題になって,夢中で読んでいたのが山本おさむさんの「どんぐりの家」でした。

 

漫画には,自閉症や聴覚や知的発達に困難のある子どもとその家族の日常がたくさん描かれています。そのことが,当時,そうした子どもたちとの接点が少なかった学生の私には,その一端を知る貴重なよすがとなっていたものです。

 

久しぶりに,ページをめくり当時の実習での子どもさんや親御さんたちとの記憶と相俟って,実に懐かしくしみじみしました。

そして,あの頃よりもはるかに涙腺が崩壊しやすい年代のいま,また,自分もたった一人ですが子育てを経験した身となりました。漫画に登場してくる親御さんたちの胸に去来する苦しさや喜びがひとつひとつあの頃の何倍も響いてくるんですよね。

 

そして,懐かしさついでに,当時職場で発刊していた紀要に投稿したレポートをおそるおそる検索して読んでみました。

1995年の研究ノート,メモに毛の生えたようなものです^^;;

 

「日常場面での自閉症児の特徴に関する報告」

 

このレポートのなかで,今は犬の勉強で読んでいるテンプル・グランディンさんの本を引いて,子どもたちの行動の解説を試みています。自閉症の子どもの行動に隠されている意図を読み解きたかったんですね。

実は,この子どもらの行動は一見すると私たちには不可解に見えるけれど,その子の思考回路の中で確固たる理由があるのだということを気づかせてくれたのが,「どんぐりの家」だったのです。

 

第一巻に,清くんという自閉症のお子さんのエピソードが出てきます。なぜか清くんは石ころが大好き。父親がやっているパン屋さんのパンを並べるトレーに石を並べたり,死にかかったセミの前にいくつも石を並べたり・・・

そういう,ちょっと不思議な行動がもとで学校のお友だちからもひどくからかわれる。

お母さんもなぜ清くんがそんな行動をとるのかさっぱりわからず言葉も通じず,いつ終わるともわからない苦労に押し潰されてしまう毎日。いっそこの子と遠い世界に飛んでいってしまいたいと思い極まったそのとき。

線路をまたぐ陸橋から夕陽が美しく見えた。気がつくと清くんはそれをじっと眺めていたかと思うと,足元に落ちている石ころを拾い陸橋の手すりの上にひとつずつ並べ始めた。その石ころと同じ目線から,清くんは夕陽をじっと眺めていた。

それを見た瞬間にお母さんは気づきます。清くんは,石ころに夕陽を見せてあげようとしていること,石ころに「ゆうひだよ,きれいだね。」と話しかけているに違いないということに。

 

私は,この場面を読んで実習で出会っている子どもたちの奇異な行動にも,みんなその子なりの理由があるということを確信しました。

 

そう思って,子どもたちを見るとそれまでとはまるで違う世界が見えるような気がしました。なにより,子どもたちとどんなふうに関わったら良いのか,正直なところ,とても戸惑っていたんです。それがいつの間にかなくなっていくのを感じました。

 

という訳で,この体験を機に,その人になってみることは不可能。それでも,なんとかしてその人だったらどうするだろう?どう考えるだろう?という,徹底的に相手目線になることを諦めないことを学んだ・・・ような気がする(自信ない^^;;)

気恥ずかしいぐらい若かったですねえ…

 

犬を学び始めて,あのときの気づきはもしかしたら今の伏線になっているのかもしれない。

犬の言葉も,完全に理解することは不可能,真実は誰にもわからない。

だけどわかろうとすることを諦めない。

それは,あのときとまったく同じです。

そして,なんの因果か,またテンプル・グランディンさんの本に再び出会うご縁をつないでもらいました。

悩みながら「どんぐりの家」を夢中で読んでいたあの頃から,かれこれ30年近く

 

悩みは消えてなくなってはいませんね。

でも諦めはしていません。

世界中の犬と人が幸せに暮らせますように。

何かできることがあるかもしれない。

犬とか生きづらさを抱える子どもたちという窓を通して,世界を見る目も少し変わりました。

見ようとしなければ見えない世界があること。

 

これからも,私はずっと学びつづけていくんでしょうね…。

答えはないですからね

でも,こうやって悩み続けていく人がひとりふたりさんにんといること

それが,塵が積もるように重なって,ふと振り返ってみたら「あの頃とは違う」

そう思えるんじゃないだろうか

 

「どんぐりの家」に書かれている家族の日常・・・

すっかり良くはなっていないけれど,『今なら少しちがうかな。』と思えるところもあります。

きっと犬の世界もそんなふうに少しずつ良くなっていくと信じています。

 

今日も読んでくださってありがとうございます(。・ω・。)ノ♡&✌

 

 

 

認知症世界を歩くとは?

こんにちは。

日本の南、太平洋の上で長居する台風のせいか、今週はすっきりしないお天気です。

台風には慣れてる沖縄の人たちも、さすがに参っていらっしゃることでしょう。

どうかみなさまご安全に。

 

筧裕介著「認知症世界の歩き方ー認知症のある人の頭の中をのそいてみたら?」

たしか去年の本屋大賞かなにかにノミネートされていましたっけ?

SNSでもそちら界隈ではとても話題になりました。

 

私もやがて訪れるだろうその日をなんとなくおもい買っていました。

 

その日は突然、やって来ました。

 

ある日の夕方、警察署からの電話。

父が近くのスーパーで万引きしていま保護しているので身柄を引き取りに来てほしいと。

 

驚いたような、どこかで予想していたような。

スーパーのレジ横あたりに雑誌コーナーがよくありますよね。

そこの雑誌を立ち読みして、そのまま、近くのベンチに座り込み、そしてその雑誌を自分のリュックの中にしまった。

そこを警戒していた警備員さんに呼び止められて、別室に呼ばれ、そして警察へ。

 

本人には、盗むという意図があったのかどうかは不明でした。

ただ、これは、けっこう前から断片的に目撃されていたようでした。

警備員さんは、書棚から販売中の雑誌を持ち去る現場を目撃していなかったので、確信を持てず、現場を押さえることができなかった。

警察ではそう説明されました。

 

書棚に並ぶ雑誌を手に取る

読み耽る

疲れて来たので、近くのベンチに腰掛ける

読んだので、さあ帰ろうと思い、手に持っている雑誌をかばんにしまう。

 

 

一瞬一瞬の行動にミステイクはなかった。

だけど、その本は売り物だった。

「会計をする」という手順だけが抜けていた。

私にはそのように見えました。


本のなかには、このような買い物と支払いで起こるエピソードを「カイケイの壁」として描かれています。

『心身機能障害44「複数のモノ・コトから正解や最適解を選択・判断できない」』

 

・靴を間違える

・整理整頓ができない

ICカードにチャージできない

・陳列棚で買うものを取り違える

・会計をせずに帰ってしまう

 

などなど…

 

一連の行為の文脈のなかで、今自分が手にしている本が書店の売り物であるということが、歩いて、ベンチに腰かけ、雑誌を読むという時間経過の中で、忘れられてしまう。

結果としては反社会的な行動になってしまった。ということなのだろうか…

 

そうは言っても、本屋さんにとってはやはりそれは盗まれたに違いないわけですから、仕方ありません。

 

迎えに行った父が、私を見たとき、うつむいて肩を落としたまま、かすれた声で「すみません…すみません…。」と言っていました。

父自身も自分の行為の何が誤りだったのか、よく理解できていなかったかもしれません。けれど、現実問題、こうして警察のお世話になってしまっている。その自覚はできたのだろうと思います。

引き取りのために、娘さんに連絡するとおまわりさんが言ったとき、父は娘には知らせないでほしいと頼んだそうです。

 

警察署の玄関を出て、車までのわずかな距離を歩いたことは、私はこれからも一生忘れないでしょう。

小雨に降られながら、父をただひとり歩かせることがどうしようもなく不憫で、もう何十年もつないだことのなかった父の手を思わず握りました。その手は、『熱でもあるか?』とはっとするぐらい温かかった。その手をしっかりと小脇に抱えながら歩きました。

もしかしたら、ひとりで歩けなかったのは、私のほうだったのかもしれません。

 

現在進行形で認知症世界を歩く父

その世界をともに歩くには?

 

まるで、正解は見えないままですが、もう後戻りはできない。

 

事態を冷静に受け止めて、少ない休日にあった予定をすぐさまキャンセルし、車を出してくれた父ちゃん(夫)がいてくれてよかった。

ことさらに明るく「そうか!じゃ、迎えに行こう!」と、まるでテイクアウト注文したスープカレーでもとりに行くかのように、終始ほがらかにふるまってくれたことには、本当に心が救われました。

 

認知症であること

認知症の家族がいること

警察にお世話にならねばならなかったこと

 

これらは、もしかするとちょっと隠しておきたいことなのかもしれません。

でも、私は、それを隠すことは父の存在を否定することにほかならない。

だから、ありのまま、むしろ、もっと発信しよう、いろんな人に。

 

そう思いました。

もし、これを読んで不愉快に思われるかたがいらっしゃったかもしれません。

お店がわの立場なら、自分勝手な自己弁護に見えるかもしれません。

ほんとうにごめんなさい。

 

わたしはどうやって認知症世界をともに歩けばよいのか

また、父だけではない、家族やヘルパーさんや、ケアマネさん、おまわりさん、関係するひとたち、それぞれの立場でのそれぞれの考えがあります。

きっとずっとわからないのだろうと思いますが、遠い先を見ても解は見えないような気がします。

 

 

この一件のあいだ、テルモは私の気持ちを敏感に察知して、お迎えに行く仕度のあいだじゅう、私のうしろをずっと着いて歩いていました。

それは、予想したとおりの行動でした。

だから、テルモに心配をかけすぎないために、私はしゃんとしていようと気を張っていることができました。

人の暮らしの中で生きる犬は、良くも悪くも、人間世界の出来事に巻き込まれざるを得ない。

それをストレスと言えば、そうに違いないのですが、それらをゼロにすることが最善かといえばそれは疑問です。そもそもそんなこと無理。

ならば、目指すところは、ストレスゼロの暮らしではなく、そのストレスからいかにリカバリーできるか?

リカバリーのための方略をいかに普段から装備できるか?

だから、かいぬしはどれだけ(人間の快適ではなく)「犬の」ハッピーを創る出せるか?

すべては「犬を知る」ことから。

原点はいつもそこにあるな、再認識しました。

 

今日も読んでくださってありがとうございました(。・ω・。)ノ♡&✌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本家「風の谷」は…

こんにちは。

今日の札幌は、正午ごろに最高気温25℃になったあと、急激に涼しくなりました。

昼前からつけていたエアコンでしが、14時半に窓を開けてみたら、なんと室内より外のほうが涼しい風が吹いてた!

驚いて、エアコンを消して窓を全開しました(^-^;

風速5m/sの風。15時半からのテル散歩は、木綿の長袖シャツに着替えて出かけてちょうどでした。

本州のかたはうらやましいでしょう?( *´艸`)

曇り空で風もあって気持ち良い散歩でした

いつもは犬のお仲間さんと集う広場、少し早く出かけたので誰もいませんでした。

草っぱらの上に、テルモと一緒に座ってしばし本読みました。

 

honto.jp

 

こういうとき、kindle本は便利です。スマホ一個あればいつでも読書できる。

学舎のお仲間さんがkindleで出たことを教えてくれたのでポチったムツさんの本。

 

さて、今日はきよたKAZEラボの名前の元祖である「風の谷」の提案者、安宅和人さんの記事をシェアします。

宇野常寛さん主宰メディアの「遅いインターネット」での特集「風の谷を創る」の#6です。

 

「遅いインターネット」の記事は、宇野さんが意図しているところがあり長いです、めちゃ!お時間のあるかた向け…ゆっくりとご覧ください。

slowinternet.jp

 

もちろんですが、私たちのきよたKAZEラボの「風の谷」もこの安宅さんのアイディアに共鳴して生まれています。もちろん、安宅さんの風の谷はナウシカからなので、元祖と言うべきはそちらなのかもしれません。

ただ、私たちのは、SVSです。SVS?

super very small すっごく超小さい(笑)

本家の安宅さんの構想は、都市とカントリーサイドが有機的に連携した系としての風の谷…なのでね。

 

清田区はカントリーサイドではないですが、札幌市のなかでは最南のはしっこに位置します。隣町との境界です。

人口構成も、市内他区に比べて高齢化がより早く訪れている地域です。

当然ながら、人口はこの先減少の一途。

緑に恵まれていて、テル散歩の公園だって多様な樹種を含む林の中にあります。

そして、区内には地下鉄もJRの駅もなく、それらの最寄り駅まではバスを利用しなければ札幌の中心地には出かけられません。

 

でも、だからこそ風の谷としては向いているんじゃないかな…

 

  1. アラブの大富豪ばかりを儲けさせるのでなくオフグリッドなエネルギー供給
  2. エコでニーズドリブンな(車以外の)移動手段
  3. 自然の利点をうまく日常生活に取り込めるマインドセットと空間整備
  4. 大病院に頼りすぎず地元の中規模病院で事足りる程度の無理のない健康寿命延伸

 

私たちは、以上の4点から持続可能なまちづくりを模索したいです。むしろ小さいからこそできないだろうか…

 

そんな妄想をしているわけですね

よろしければ、妄想におつきあいくださるお仲間をいつでも募集しております。

仲間にはならなくても、気になること、もっと聞いてみたいなどお気軽にご質問くださいませ。

 

今日も読んでくださってありがとう(。・ω・。)ノ♡&✌

 

 

 

 

 

猫さんカムバック!覚え書

こんにちは。

DOGS & BOOKSの店長「テルモ」の付き人です。

(いつの間にか店長に?!…というか、いつからお店になったのだか?)

今日は晴れてますが風強め。風速4~5m/s、気温24℃

うち中の窓を開け放ってるので、扇風機を強で回しっぱなしみたいな感じで、風にあたり過ぎると半袖だと知らぬ間に体が冷えてます…

犬仕様で環境整備するとこんな感じなので、付き人の私は長袖と靴下着用。

 

店長は…気持ちよさそうにzzz…

 

2週間ほど前に、テルモと町内パトロール中に一人暮らしっぽい猫さんを目撃しました。5月末からご近所さんで迷子になっている猫ちゃんでした。

 

猫のことは、本当に何も知らないので、学び舎のせんせい、ベテラン猫飼いさん、地域猫活動なさっている諸先輩などにアドバイスをお願いしました。

 

それと同時に、やっぱり、自分の住んでいる地域のことは自分で調べて勉強しないといけませんね。

 

たとえば、札幌市が出している「飼い主のいない猫への対応ガイドライン」

 

札幌市の考え方としては、ざっくり言うと

 

飼い主のいない猫は減らすべきだが、地域ごとに実情やひとびとの考え方(迷惑に思うor気にしないなど)はそれぞれ。なので、対応を決めるのは札幌市ではなく、地域住民の意思疎通による総意でお願いしますね。

 

『ま、それぞれでよく話し合って決めてね。』ってことですね。

 

そして、それぞれの地域で決めて活動するとした場合、つぎのような3種類が考えられますよと。

 

  1. 保護活動:猫を自分で保護して飼い猫にするか、しかるべき人に譲渡する
  2. 地域猫活動:地域の合意を得たうえで、捕獲、避妊去勢、餌やり等、地域で決めたルールにしたがって猫をお世話する
  3. TNR活動:捕獲(trap)避妊去勢(neuter)元の縄張りに戻す(return)。return後も餌やりをすれば地域猫となる

 

札幌市動物管理センターは、これら活動を行うための支援助言をするそうです。

例えば、避妊去勢に関しては「民間支援制度の紹介」


『紹介してくれるだけなの?』ーーあ、心の声が漏れてしまった^^;

例えば、こういうところのことかな?

 

www.doubutukikin.or.jp

 

www.youtube.com

 

そして、この「どうぶつ基金」の協力病院はどこか探したところ、札幌市ではたったひとつしかありませんでした。獣医さんいっぱいいるのになあ。

 

ezorisudoubutukurinikku.jimdosite.com



うちからだって徒歩10分圏内に2軒もあるんだが…

近郊では、江別にひとつ、千歳にひとつ。

 

 

どうぶつ基金では、個人でTNR活動をする人にも支援をしているようです。

まとめると、札幌市は「口は出すけどお金のかかるところは民間におまかせ」って感じかなあ…ちょっとね。

せっかく国内に先駆けて、動物園条例を制定した札幌市なんだけど。

動物園動物にせよ、伴侶動物にせよ、家畜動物にせよ、根っこはひとつじゃないかなって思います。

 

動物とひと、どうやって折り合って暮らすのか

 

その土台に据えるのは動物福祉であり、動物の幸せを考えることは、ひとの幸せを考えることと地続きであるということ。

one health であり one welfare

 

ちなみに、health=健康は、体だけが元気なら良いってわけではなくて、まさに、WHOが提唱するところのphysical、mental、social well-being

 

(人間の)医療の世界では、これを代表的な健康の定義として多くの教科書や養成施設で採用しています。これは、つまるところ、その人が生きたいように生きられるってところに行きつくわけで…(あ、あ、ちょっとムズイ感じになってきた^^;;この話始めると本業抵触事項、コウルサイのでやめます)。

 

動物も同じだし、ひとと動物の暮らしは不可分です(そこも説明省略^^;)。

 

 

猫さん、カムバーック!!

もちろん、この猫さん避妊済みです。

どうやら、近くに猫の餌やりをしている会社(夜間は無人)があるようで、何頭か猫が集まっているもよう。このエリアに出入りしているのではないかと思われます。

 

もちろん、そこはtrapはしていないし、たぶんneuterもしてなさそうな予感…

 

そして、見知らぬクロネコさんが、何度か猫主さんが仕掛けている箱に訪問しているんです。

飼い猫さんか、放浪猫さんか、見分けができないのがね、う~~む。

 

今日も読んでくださってありがとう(。・ω・。)ノ♡&✌

 

 

 

 

 

 

 

 

犬の散歩から未来を夢想しました

こんにちは。

札幌もいよいよ夏本番に突入しました。

と、言っても最高気温28℃、湿度70%台だから、内地のみなさんの猛暑とは比べるべくもない。

夜には湿度90%を超えてきますが、その頃には気温は20℃くらいになっているので、もちろんエアコン不要。窓を開けると、風速1m/sでも、そよと気持ち良い風です。

 

今年はとってもセミが多いような気がします。

 

左側がコエゾゼミ、右側がエゾゼミ

ふたつのセミ、とっても良く似ていますが違う種類。

一番分かり易い見分けポイントは胸に入った模様の一部が途切れているかいないか?

 

青い矢印の部分が途切れている

オレンジの線に切れ目がある・・・コエゾゼミ

オレンジの線に切れ目がない・・・エゾゼミ

 

だそうです。ほかにもあるけど、ここが一番見分けやすいようですね。

本州以南でよくみかける南方系のアブラゼミやミンミンゼミ、ツクツクボウシなどよりも体の模様が黄色くて鮮やかです。

 

お散歩仲間にときどきお子さんづれで来るファミリーがいらっしゃるので、そのお子さんとセミを見つけて、この見分けの違いなどおしゃべりして歩くのも楽しいです。

実は、このぼっちゃん、虫がとっても苦手なんですけどね。

でも、ちょっとこうやって一緒に歩いてたら、虫を見つけるとこわいんだけど「ねえ!来て!」とわたしを呼んでくれて。触れたりはしないけど、名前は聞きたいのかな。

 

『わかるわかる!私もどちらかと言えば、キミに近いヨ。』

 

というか、何年か前までは私も虫(特に芋虫系)は苦手でした。

畑の虫対策のために、名前を調べて、生態を知って、いろいろわかって来たら、気がついたら苦手じゃなくなってました。むしろ、見つけたい派。でも、つかまえたりはしないタイプです。

ただ、畑やプランターの野菜を食べちゃう虫は、ちょっとよそに行ってもらうことにはしています。虫たちの暮らしぶりを知ったら、捕殺ができなくなりました。

 

そんな経験があったので、マダニとか蚊とかも同じだろうなと思って、ちょっと嫌だな~と思ったときは、積極的に調べちゃうことにしています。

 

マダニについてもけっこう詳しくなりました。

私の場合は、たまたま、なんでも聞けちゃう詳しい人がいたのもラッキーでした。

詳しい人は研究者でもあるので、参考になるわかりやすい資料とか論文とかも教えてくれます。ありがたやありがたや。

 

こないだ、こんな記事を見かけました。

キツネが犬の糞を食べて飢えを凌いでいるのでは?という記事。

 

nazology.net

 

スコットランド北部のアカギツネ(北海道のキタキツネも本州にいるホンドギツネも同じアカギツネ)の糞サンプルに含まれているDNAを特別な方法で調べると、全体の40%ほどで家庭犬のDNAが含まれていたと。

ただし、キツネの好物であるキタハタネズミの出現が低い時期だったそうですが。

 

まず一番に

『ええ?スコットランドにはそんなに犬の糞が落ちているの?』

 

と思った私って、やっぱり犬の飼い主ですよね(笑)

こういう時は、詳しい人に聞くに限ります。もちろん、聞きました、友人に。

 

そうしたら、元の論文も読んでくれて、それ以外の先行研究でのDNAを調べた論文も確認してくれました。

その結果、次のようなコメントでした。

 

キツネは世界中に分布しているので、研究も世界中でされている。本当に犬の糞を食べるなら、ほかにももっと実例が見られているはず。今後の研究結果を待たなければ、結論としてはまだはっきりしたことは言えないのでは?

 

そうか。

なるほど。

 

メディアは、なにか面白そうな話題をすぐにセンセーショナルに打ち出してくるけれど、それがすべてと思ってはいけないんですね。

ひとつの研究結果だけでは、確からしさは不十分ということ。

この結果を受けて、またさらに次の研究がされて、そのまた次の研究・・・とひとつひとつ結果が積み上げられるごとに、前の研究結果と比較検討されて、その確からしさが増えたり、減ったりするってことですね。

 

研究者ではない、わたしたち一般市民は?

それらを知ることに意味はないのか?というと、そういうことはないんじゃないかな。

 

そんなふうに、現在進行形を目の当たりにできるのも、テクノロジーが発達した今の時代の特典でもある。

知ろうとすれば、誰でも世界中の情報に触れることができる世の中で、その恩恵を最大化することは、いまは研究者だけの特権ではなくなりました。

言語の壁も、容易に乗り越えられるツールが誰でも簡単に使えるようになっている。

 

件のぼっちゃんも、あと3年もすれば「ねえ!来て!」とテルモのおばちゃんを呼ばなくなるでしょう。

掌に乗るテクノロジーを手に入れて、それを駆使すれば、大人の手を借りることなく、自分の好きな世界をどんどん自分の力で広げていける。掌から無限の未来が広がりますね、ステキ。

 

そのときのために、私たち大人は彼らに何ができるだろう?

 

そんなことをふと思って

テルモとみんなと歩いてると

目のまえのセミも木々も鳥も

マダニや蚊だって

みんななくならないでほしい唯一無二の存在

心から愛おしくなりません?(´▽`*)

 

今日も読んでくださってありがとう(。・ω・。)ノ♡&✌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「視線」の意味はわたしたちが思うよりもっとずっと大きい

こんにちは。

 

少し前に森川すいめいさんのこの本を読みました。

honto.jp

 

読み終えて、また何度か、気になる所を開いて読み直して…

 

オープンダイアローグとは何か?については、とても今の私には説明できそうにないので、興味のあるかたは、関連図書を読まれるか、以下のYouTubeも参考になります。

youtu.be

 

オープン・ダイアローグ・ネットワーク・ジャパンのサイトから引用すると

フィンランドで開発されてきた精神科医療の包括的アプローチ」ということだけ紹介しておきます。

とりあえずは、精神科医療において必要とされる高度に専門的な対話技術と考えて頂ければと思います。

 

私が、オープン・ダイアローグの考え方と技術に出会ったのは昨年です。

森川すいめいさんの「その島のひとたちはひとの話をきかない」を読んでからでした。

 

honto.jp

 

「オープンダイアローグ私たちはこうしている」の本は、精神科医療でオープンダイアローグを実際に取り入れていくための本。
というより、精神科医療そのものをオープンダイアローグ化していくための手ほどきのような本、といったほうが適切かもしれません。

そのために、森川さんのクリニックがどのようにそれをやっているのかについて、現在進行形の現状を森川さん自身が、可能な限り開示した本です。

 

具体的にクリニックを利用されている患者さんとそのご家族らと対話した内容が(個人情報の守秘義務を順守しながらも)具体的に記されています。

 

オープンダイアローグが大切にしている基本理念にもとずいて、対話するとどうなるのか?反対に、その理念に反する話し方だとどうなるのか?など本当に丁寧に書かれています。

精神科に限らず、すべての医療にかかわる人たちがこのような理念を守ってコミュニケーションができたら、どんなに日本の医療は素晴らしいものになるだろうかと思うのです。

私が体験してきた医療現場は、残念ながらコミュニケーションの稚拙さゆえに新たな問題を生み出してしまっている、そんなケースをたくさん見てきました。

 

私たちが、ふだん、医療現場で体験するコミュニケーションの何十倍も、オープンダイアローグは高度に専門的で、繊細で、注意深い洞察力が求められる技術です。

 

その繊細さを象徴しているところがあります。

オープンダイアローグには、「リフレクション」と言って、関係者全員で対話したのちに、専門職だけで輪になって話し合う場面があります。

(それまでの対話から、各専門職が感じたことを話す場面で、それを患者さんやそのご家族が外側から聞いている、or、聞かないで自由にする、それはどちらでも良い。)

 

そこでの注意として、周りで聴いているひとたちと「視線を合わせない」こととされているのだそうです。

 

視線は思考を縛ります。目と目を合わせて話すと自分自身の内的会話が聞こえにくくなります。完全に視線が外れたときに、あたかも、ラジオで自分たちのことが話されているような感覚になるでしょう。自分たちからは何も言えない構造であるがゆえに、聞いている側の内的会話が豊かになっていくというわけです(pp.174-175より)

 

どうでしょう?

話を聞くときは相手の目を見て

というのが当たり前のように言われますね。

でも、視線=目を合わせるってそれだけでも、とても強いメッセージ性をもった非言語的サインだと思います。

何を隠そう、私自身が目を合わせることにとてもハードル高く感じてるんです。

でも、相手と自分の間で明確な役割関係があって人と相対するとき、視線を合わせることがそれほど苦痛でないという場面はよく遭遇しました。

それがなぜなのか?この文章を読んで、とても合点がいったんですね。

相手が自分に期待されているだろうことが、互いに暗黙のうちに了解できているからなんだろうと。

でも、それがわからない関係のときに、視線を合わせることが相手に対してとても不躾に感じてしまう、そんな自分がいたんだと思い当たりました。

 

まさに森川さんがおっしゃる「視線は思考を縛る」そういう非言語的強制力が働くのを感じとってしまうから、だから視線を合わせることに抵抗があったんじゃないかなと気がつきました。

 

この感覚、伝わっているでしょうか?もしかしたら、『ナニイッテルカワカラン』というかたもいらっしゃるかな…(^^)…とても言葉では表現しきれない感覚かもしれません。

 

人間は言葉を持ったとき、視線の持つ強さが相対的に弱まってしまったのかもしれない。

 

言葉をほとんど使わない動物どうしの関係では、視線を合わせるのは敵意の現れともみなされる場合がある。

 

このことが、森川さんの「視線は思考を縛る」の一言から、そのわけがちょっと類推できそうな気がしました。

 

テルモと一緒に自然のなかを歩いて、虫や鳥の声を聴いて草花を愛でているとき、心から安心できるのは、誰かの視線によって思考を縛られることがないし、私自身の視線が他の何かに強制力を及ぼす心配もない…からかもしれない。

 

そんなことを考えるに至って、そう、やっぱり見知らぬ犬と会ったとき、わざわざ顔を近づけて犬の目線の方向に照準を合わせて行くのって、犬にしたら、やっぱりウザいんだろうなあ…

だって、視線ってコトバをもたない動物のあいだではとても意味あるサインに違いないから。

 

それなのに、犬たちは仲良くなってくると喜んで視線を合わせに来てくれる。

にんげんという動物は、「こういうやり方でやっている」ことを観察して了解して、私たちのやり方に寄せて来てくれているのだから。

犬ってやっぱりすごいよね!

 

でも、いつも合わせてもらってばかりじゃ申し訳ない。

むしろ、わたしたち人間が犬のやり方に寄せていけたら、きっと『オ?コイツ、オレのイウコトワカルノカ?』と思ってくれるんじゃないかな。

どちらかと言うと、そっちがわのひとになりたい。

 

小さなサインの大きなインパクトを理解できる感覚、研ぎ澄ましていきたい。

 

少し離れたところに座っていたのにふと振り返ってピッタリと足元にくっついたテルモ

テルモのこんな敏感さには本当に驚かされます。

ただ、ぼーっと一緒に座って私は景色を眺め、テルモは風に漂う匂いで景色を眺めていただけ…のはずだったのに。

ふと、思い出したんですね。私たちがここに引っ越してくる前から入院して、そのままパンデミックになり退院することなく亡くなった義父のこと。その瞬間に、やるせない気持ちがこみあげてきました。

と、テルモはふっと私のほうを振り返って、立ち上がって歩いて来て写真のように足元に座ったんです。

そして、何度も何度も私の顔を振り返りながらじっと視線を送ってくる。

これは、テルモの『なでて』のサインなんですね。

つまり、私に撫でろと何度も言ってくるんです。

 

コトバがなくても、視線を使えば、にんげんとコミュニケーションできることをテルモはちゃんとわかっている。

そして、それが伝わるという確信を持って視線を送っているんですね…

 

本当に犬には驚かされるし、救われることがたくさんあります。

こんなとき、人間だったらどうするだろう?

もし、このときの私みたいな心情のひとが私の傍らにいたら?

きっとやっぱり何かコトバをかけないと、でもそのコトバが出ないに違いない。

そう思うとコトバって不便でしょうがない。

 

でも犬はコトバなんかいらない。

なんてすごくてなんてステキなんだろう。

ほんと、こういうところ、絶対に犬にはかなわない。

 

今日も今日とて長文になりました^^;

ここまで読んでくださってありがとう(。・ω・。)ノ♡&✌