DOGS AND BOOKS

人生は犬と一緒に歩いて身近な自然にかくれた秘密を探す旅。とくに犬に学ぶ旅は終わりのないライフワーク。

古典的条件づけは飼い主の味方です!

こんにちは。
またも蒸してどんよりとしたお天気。
それでも朝は良さそうな感じでテルさんもやる気満々で公園まで行ってきました。
ヘラオオバコ上から写真
お花なのかどうかわからなかかったけど、たくさん見かけるこれ。
ヘラオオバコと言って、大きな丸い葉っぱがへばりつくように広がるオオバコの仲間だそう。
UFOか惑星かっていう雰囲気かもしてて愉快な植物だなあ。

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一昨日の「ムクゲの花という記憶箱」という記事で古典的条件づけについて少し書きました。
その終わりに

古典的条件づけっていうのは、そういう受動的で知らぬ間に起こることなんですよね。
そこがサイコーに良いところでもあり、間違ってしまうとそれは逆にサイテイの仕組みにもなってしまう。

と書きました。そのサイテイになってしまうほうのお話。

古典的条件づけは、嬉しいモノ・コト・人だけでなく、嫌なモノ・コト・人とも結びつくって言うことです。生き物が命を守るということで言えば、嫌なもの=危険なもののほうが重要なせいか、どうやらネガティブな条件づけのほうが起こりやすいらしいです。


ご存知、スタンレー・コレンさん。
コレンさんは、古典的条件づけで大事なことは「物に対して情動反応を持つことを学ぶこと」だと書いています。ある刺激に引き続いて、ある感情を引き起こす出来事が起これば、その前の刺激とその時の感情が結びつくと。

そして、歴史的にはちょっと悪名高い、現代では倫理的に決して許されない、心理学者ワトソンたちが行った実験について説明しています。恐怖というネガティブな情動と刺激を結びつける実験。アルバートくんという乳児に行われました。

ワトソンは、アルバートにラットを見せながら、同時に、人に頼んで金属の棒を二本打ち合わせて大きなカーンカーンという音を立ててもらった。アルバートはその音にびっくりし、怖がって泣き始めた。ラットを見せるーー大きな音を立てるーー怖がって泣く、というこの一連の流れを数回繰り返すと、アルバートはラットを見ただけで泣き出し、ハイハイをして逃げるようになった。(162頁より)

この実験をする前に、ラットを見ても泣かなかったアルバートくんは、実験後には白いウサギ、ぬいぐるみ、毛皮のコート、サンタクロースのひげまで怖がるようになったそうです。1920年頃のこと。


これは計画して意図的に行われた実験だけど、こういうネガティブな古典的条件づけは日常知らぬ間に起こっています。
学生時代、怖い先生が担当していた教科は嫌いになったとか。
私はスキーが大嫌いでした。
学校の体育で行くスキー学習って、自分の滑る順番が来るまでゲレンデでじっと立って待ってないといけないんですね。寒いのなんの。足先指先からジンジンと冷えます。しかもお昼は吹きっさらしのゲレンデに腰掛けて、おむすびをかじかむ指でやっとこさ開いて食べる。しかもこのおむすびがもれなくしばれてる(北海道弁だヨー)。おまけにスキーがたいしてうまくなかったのでスキー授業は嫌で嫌で仕方なかったです。
これも条件づけじゃないかな…。

犬との暮らしに戻って考えてみると…

知らぬ間に犬が見ているものやこと、例えば散歩中に出会う人や犬、通り過ぎるトラックなどとセットで意図せず嫌な刺激を与えていないかな~?
アルバートくんの実験で言えば、金属の棒を打ち鳴らす大きな音に代わるような嫌悪刺激を。

それは音だけとは限らなくて
例えば、飼い主さんのしかめっ面かもしれないし、リードショックの痛みかもしれないし、はたまた飼い主さんが発する汗のにおいかもしれない…。
犬は人の感情を体臭から嗅ぎ分けているという研究もありますからね。



「古典的条件づけ」という無意識のうちに起こる仕組みについて知ってしまうと、「なんでうちの子はそうなの?」と思っていたことが、少し違って見えてきます。
『あれ?もしかして、私が知らぬ間に条件づけしたのかな?』と。

これぞ、まさしくコペルニクス的転回かもですね~
犬じゃない、私なの?
な~んだ私自身が変わればいいのなら、自分で出来そうじゃないですか
私はそう感じました。