DOGS AND BOOKS

人生は犬と一緒に歩いて身近な自然にかくれた秘密を探す旅。とくに犬に学ぶ旅は終わりのないライフワーク。

動物との適度な距離感のためにも動物福祉を土台に

こんにちは。

 

昨日、うちの父ちゃんがある研究所のキタキツネの専門家さんと面会してきまして…

 

キタキツネは4~6月が子育ての時期なんだそうですね。

そのため、この期間が目撃情報や苦情などが増えるということでした。

 

なるほど。

 

札幌市内にある月寒公園では、キタキツネが営巣子育て中で、連日、動物写真愛好家が10人以上、巣の前で張り込んでいるんだそうです。

 

2022年5月9日の北海道新聞電子版の記事↓(無料登録で全文読めます)

 

www.hokkaido-np.co.jp

 

記事中に登場するキタキツネ研究者の北大大学院教育推進機構の池田貴子さんによると、キツネとヒトの距離が近くなり過ぎることで、次のような心配があると。

 

  • ヒトの食べものを与えることによるキツネの身体への悪影響
  • 人慣れしすぎた個体の生存能力減衰
  • 高カロリー食物摂取による個体数増加
  • 病気個体が淘汰されずキツネ間で感染症拡大
  • ヒトへのエキノコックス症・疥癬症感染リスク

 

ほかにも、ロードキル(キツネが交通事故死する)の増加なんかも。

池田さんがおっしゃるように、キツネがどんなにかわいくてもそっと見守るだけ、餌付けせず、人は人の環境、キツネはキツネの環境でそれぞれで交わらずに生活していくのが良いのでしょうね。

 

池田さんも指摘しているように、少し難しいのは、餌付けしている人たちは、疥癬症でつらそうなキツネを見て、助けてあげたいという気持ち、善意の行動であるということなんです。

「見殺しにはできない。」という命を大切にしたい気持ち。

 

こういうときに、土台に据えておきたいのが「動物福祉」なんでしょうか?

 

キツネとヒトが近づき過ぎることで互いの間にどんな現象が起こるのか?については、多くの専門家が、地道なフィールド観察や調査をしてくれたおかげで、わかってきた客観的事実があります。それらの結果を十分に吟味検討したうえで、明らかになったのが上に箇条書きで記したような懸念なんだと思います。

実際に、それらは杞憂に終わらず、観測されていたりもするわけです、残念なことに。

 

一方で、「苦しんでいるキツネを助けたい。」こちらの気持ちもよくわかります。人間には気持ちや感情があるのですから。それらは主観的事実です。そして、この人間を主語にして、動物たちを助けたいという思いは「動物愛護」そのものなのかなと思います。

 

どちらも大切。

動物たちの住んでいるその同じ環境のなかに、人間も同居している。

動物たちの生きる営みそれ自体が、環境へ与える影響はあります。人間も同じ。

ただ、人間は自分たちが与えている影響を客観化し測定したり予測したりできる。

それによって、別の選択肢を選ぶことも出来るという点では、動物のそれとは違っているのかな。

 

動物はその環境に依存するがゆえに、そのような営みかた、行動を選択せざるを得ない。

自分たちの行動が遠い将来にまわりの生息環境にどんな変化をもたらすのかを種間で、共有したり検討したりはしない(はず^^;よね?)。

 

客観的事実にもとずいて予測や検討すること、これが動物福祉という考え方。動物が何をどう感じているのか?は極論言えば、決して知りえない。けれども、たくさんの知見を積み重ねていくことで、『こうなんじゃないか?』はある程度推測できる。それによって、主語を人間でなく、動物に置き換えて想定することができる(かもしれない^^;)。


そうした客観的分析から得られた智恵を人間が自分事として、主語を自分にして何をするべきか、行動化していくときに原動力になるのが動物愛護という考え方。なのかな?

 

そのときその場で沸き起こる「動物が可愛そう。」「動物を助けたい。」

この気持ちだけで行動すれば、それは、ひょっとすると、回り回ってその動物の痛ましい結末に至るきっかけになっているかもしれない。

 

そして、これは「愛護」という動物へのポジティヴな気持ちだけに言えることではないと思うんです。

あの動物は「危険」「恐ろしい」そういうネガティヴ側面でも同じ。

「キツネはエキノコックスの元凶だから即刻捕獲してほしい」

実は、子育てのこの時期に寄せられる目撃情報のなかには、こうした苦情も多く寄せらるようになっているそうです。

 

それも、同じ構図で、「何がどう危険なのか?」を客観的に紐解いていけば、おのずとひとがしてはいけない行動とすべき行動はわかっていくはず…。

そうすれば、「あそこにいた」という事実が、即刻捕獲や殺処分の要望にはならないのでは?

 

世界的パンデミックで「正しく怖がる」というフレーズをあちこちで見かけるようになりました。

キツネ問題も同じかな…(ほかにもいろいろ…)

 

そして、ちょっと語弊があるけれども、動物へのポジティヴな感情にも「正しく愛する」っていうのがあるのかもしれない。「正しい」はちょっとあれだけどね、なんていうのか、うまい言葉が見当たらない。

よく「猫かわいがり」なんて言ったりする、そういう可愛がり方は結局は違うかもねってこと、みたいな。

 

主観だけで突っ走らず

客観と主観とのちょうど良いバランス

これ、キタキツネのところにヒグマとかシカとか野鳥とか犬とか猫とかを入れてもまったく同じ構図だね

 

いつもの広場がたんぽぽでかわいくなってた

 

今日も読んでくださってありがとう(。・ω・。)ノ♡&✌