こんにちは。
今日は犬の学友さんがカヌーイスト野田知佑さんの訃報をTwitterで伝えてくださった。
驚いたけれど、84歳だそうだ。
野田さんは死なないイメージだったけど、そんな人はいないものね。
悲しがるのは、野田さんには似合わないような気がする。
あるとき、椎名誠さんの怪しい探検隊シリーズにはまって、放浪する楽しさ、こんな面白い大人たち、こんな生き方あるんだーと夢中で次々と読んでいました。
野田さんを知ったのもその流れから。
「北極海へ」を読んだ時は、憧れと衝撃と触発される冒険心と、得も言われぬ感覚に溺れました。
紆余曲折あって、一度社会人になってから、「大学ってところで学んでみたい」と思い札幌市内にある社会人でも入れてくれる大学に入り直した私。椎名さんや野田さんの本に触れていなかったら、やってなかったかもしれない。
そうやって入った大学生活はほんと楽しかった。
同じ境遇の友だちに恵まれたこともラッキーだった。
なんといっても学びに飢えて(本音か建て前かは定かでないけど、そんなことどっちでもよかった)集まった仲間だし、みんな社会人経験をしてからの学生だったから、教わる有り難さと、でも、かたや、自分より社会経験の少なそうな先生には、それはそれは手厳しい批判を持ってました。生意気な学生ですね。少し年下の高校から直で入ってきた学生さんたちと、席を並べてゼミなんかやるのも面白かった。
そんな夢のような学生生活の終わり、卒業を迎えて、私は人生初めての一人旅へ。
行き先はもちろん沖縄八重山諸島。椎名さんの本で、羨ましい体験の数々を読んでいたし、北海道の寒さから逃げ出して、暖かいところへ行きたかった。
なんにも決めないで旅したのは、あれが初めて。控えめに言っても、人生変わりました。
そんな私の大人への階段で、根っこになる思想をつくってくれた本のなかの一角をなすのが、野田さんと椎名さんとC.W.ニコルさんと水中カメラマンの中村征夫さん。
中村さんの本はたった一冊しか読まなかったけど、今でも強烈に覚えているシーンがある。(今は書かないけど)
あえて言葉にすると、自分のものさし…。
そんな大切な本たちだけど、不思議なことに、どれも手元に持っていないの…
なぜだろうなあ。
野田さんのご冥福なんて祈りたくはない
永眠??
きっと野田さんは川と見れば遊ぶはずだ
ガクを連れて
渡らなくたっていいからプカプカ漂っていてください
こんな記事を見つけました。
この記事の冒頭に、昭和30年代の犬の暮らしが紹介されている。
私自身、子どもの頃の犬の飼い方は、この頃よりさらに20年ほどあとだから、もう少しトカイテキ(笑)だけど、それでも今とはくらべものにならない。
うちの中で犬を飼っている人は、まだ珍しくて少し羨ましかった時代。
夜には解き放たれる犬たち。
今じゃあ賛否両論あるだろうと思う。
私は、学ぶ前なら『えー?!』だったかもしれない。
でも、今はこの頃の犬は幸せだったんじゃない?ちょっとそう思う。
事故や病気で多くの犬が、今よりはるかに早くに死んでいただろうけど、だとしても、犬が犬らしく振る舞える機会は今よりはるかに多かったんじゃないだろうか…
今は、人が動物であることを忘れすぎてしまったような気がする。
なにより清潔すぎるし、恣意的に人の生活にあてはめようとし過ぎてないかな
狩猟生活の時代まで戻ろうとはもちろん思わないけど
今の暮らしかたが犬にとって最高かと言われると、素直にうんとは言えない。
でも、犬はおそろしく懐が深くて健気で、どこまでも人に寄り添ってくれようとする。
その寛大さを人間はいいように利用してないだろうか
甘えすぎてないだろうか
どうやって犬を癒せるか、犬の犬らしい欲求をいかに引き出せるか
そして、それをどうやって満たせるか
人が動物であることを忘れすぎた世界では、それらは、シンプルには実現できない。
悲しいことに。
人に沿って進化してくれた犬にどうやって恩返しできるか
人間の気持ち、もっとそっちがわに寄せてもいいんじゃないかな
見ずらいですけど、2羽のアオサギが向き合って、右側のアオサギは時折、そして何度も、首を下に向かってビューンと伸ばしたり、相手の頭を毛づくろいしたり…オスのディスプレイかな?
巣でじっとしているアオサギもいたので、早いものはもう抱卵しているのかも。
ずっと上向いて写真とってたら、横を通ったJKさん二人連れが「なに?ペリカン?」とささやいて通り過ぎていきました。笑える~。
近くに住んでいても、知らない人はまだまだたくさん。
まあ、興味ない人にはまったくどうでもいいことだものね。
上ばっかり見てカメラ構える変なおばさんがいなかったら、そこにそんな鳥が100羽近くも営巣しているなんて気づかないよね。
今日も読んでくださってありがとうございます(。・ω・。)ノ♡&✌