こんにちは。
昔を振り返るのが嫌いなDOGS AND BOOKSのテルモ母です('◇')
意外な人が意外なものを読んでらっしゃるのをTwitterで発見
これめちゃくちゃおもしれえわ(読んでる) pic.twitter.com/ngIeWymBEW
— 病理医ヤンデル (@Dr_yandel) 2021年12月9日
アフォーダンスaffordance
浸透してきたんですねえ。
何を隠そう(いや、隠してないですが)、30年前にアフォーダンスと格闘したワタシです。
いったん社会人になってから、『やっぱり行ってみるか』と思い直して、大学に行ったんですが、そこで師事したのが認知心理学系の先生でした。
それがやりたかったワケではなく、その先生がすごく信用できるいい人だったから。
不純な理由^^;;;
でも、我ながらその選択は間違ってなかった。珍しく自信持ってます。なぜなら、今やその先生は人生の恩師です。
ハナシを戻しましょう。
で、認知心理学系ゼミで(認知心理学ってだだっぴろいからいろいろありますが)
卒業論文を書いていたとき、ある日、その先生から「これ読みなさい。」と渡されたのが、この本でした。
これが、いわゆる「アフォーダンス理論」の本家ですね。
当時、普通に習う認知心理学ではあり得ない着眼点からの視覚論で、めっちゃ難解でした、いえ、今でも難解です、ナンカイ読んでもわからん(-_-)?
当時は、佐々木正人先生(日本のアフォーダンス研究の第一人者)も、まだ今のようにアフォーダンス解説本をたくさんは出していらっしゃらなかった。佐々木先生の解説文をかけずり回って探しても5本の指で間に合うぐらいしかなかった。
ほかの学生さんよりちょびっつ大人だったワタシは、生意気にも先生に
「全然わからないっす。いったいこの本と私の卒論とどう関係があるっていうんっすか?」と紛々と食ってかかった記憶があります。
ヒドイ学生だ(-_-;)
「ぼくもわからないから自力でがんばって。それが研究だから(^_^)v」
最後はそんなような態度で、優しく、けれど、力強く突っぱねられたように記憶しています。
どんだけ混乱し、どんだけ『こんにゃろー!』と思ったことか。
でも、先生は食ってかかっていく私を一度も追い返したことはありませんでした。
興奮してウィリーする馬を「ドオドオ」となだめる調教師のように、冷静に無視はせず、しかし至って淡々と相手してくれました。今思えばスゴイ先生だなあ…。
結局、その後、スゴイ先生のご指導のもと、ヒドイ学生は先生と一緒に全国各地を学会発表という名の辛くも楽しい旅に何度も行くことになります。
その筋の研究者が集う会ですら、「アフォーダンス」と言うとかなり異端視されていたので、公式発表ではアフォーダンスの「あ」の字も出さぬようにしてた臆病なワタシです(;´・ω・)
院生時代、仙台の大学に9か月間ほど武者修行に出たことがありました。そこの先生は、私の「スゴイ先生の先生」の教室だったんですが、そのゼミで年下の学生さんたちに「アフォーダンス理論」のプレゼンをして、見事なまでに玉砕したのも、今じゃあ良い思い出…スゴイ先生の先生もやっぱりスゴくて、そんなヒドイ学生をニコニコと穏やかに見守ってくださってましたっけ。
懐かしや…♪瀬音ゆかしき杜の都♪
心理学は哲学から分派したと言われているので、当然なのかもしれませんが、アフォーダンスも突き詰めると哲学にぶち当たる(と思う)。
だから、学生の頃はなぜだか、デカルトとか心身二元論とか言うてましたねえ。
そう。アフォーダンスは視覚論とかそういう小さな世界におさまるものじゃないなあというのが、当時の感想で、それは今でもそう思っています。
人工知能が研究されて、かなり経ちますが、そっちの世界でもアフォーダンスは重要なカギを握るコンセプトのひとつになっているようですね。
ヤンデル先生が面白がったのが、どんなところかわからないけど
アフォーダンス理論には人を惹きつける不思議な魅力があるのはたしかです。
あれから30年たって、今の私はギブソンを読み切れるのかな?
ちょっとノスタルジーに浸ってまた読んでみたくなりました。
今日はヤンデル先生のtweetにブログ書くこをaffordされたのかもしれない(^^)