DOGS AND BOOKS

人生は犬と一緒に歩いて身近な自然にかくれた秘密を探す旅。とくに犬に学ぶ旅は終わりのないライフワーク。

なぜリードをつけるのか?

「なぜ犬にリードをつけるの?」

何度も考えているけどまた考えました。

 

日本ではルールとして

「リードはつけねばならないもの」です。

 

 

なら、ヨーロッパのどこかの国みたいにノーリードもOKだったら?

 

私はどうするだろう?

 

たぶん。つけない。かな。

歯切れわるし…(-"-)

ちょっと自信ない。

 

車が来る道路にふいに飛び出してしまったら?

 

リードなしでもテルモを守れるだろうか???

人や犬、ほかのどなたかに迷惑かけないために

ということも巡り巡ってテルモを守ること。

 

怖がる犬がいたら無闇に近づかないとか

たとえフレンドリーのしるしだとしても

杖や足の悪いお年寄りや小さなお子ちゃまなどには

体当たりしていかないとか

狭い道路で誰かとすれ違うときは

犬嫌いな場合も考えてできるだけ距離をとるか

端っこでいったん止まってる間に通ってもらうとか

いろんな場面が想定できるし実際に日ごろからあるけど。

 

そんなとき、リードがなくても

テルモに声かけながら一緒に適切な行動ができるなら

リードはいらない…かな

 

そのためには、声かけたら

『はいよ~。』と受け入れてもらえること

なんなら、私の動きを見て同じように動いてくれるならそれでOK。

そういう間柄であること

それがたいせつ

リードがあろうとなかろうと

 

この人の言うことなら受け入れる

この人の真似したい

 それってどんな人かな?

たとえば、私ならマザーテレサ

そこにあるのは信頼とリスペクト。

 

犬だって同じじゃないのかなあ。

 

だからそういう間柄であればリードはいらない(かもしれない^^;)

でも、そうは言っても完全ってことはないので

まんまんがいちに備えてリードを。

 

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今日の散歩道の花たち

 リードは犬を守るため。

リードをつけて嫌なこと痛いことばかりしてたら

それやってる人を嫌いになるにちがいない。

 

honto.jp

 

2020年11月に発刊されたナショジオの別冊。

その37頁にこんなことが書かれている…

 

イヌには人のあくびが伝染するのだそうだ。

オオカミもオオカミどうしなら伝染するが人のあくびは伝染しない。

この稀有な同調性は、もちろん何万年の進化のプロセスと家畜化が土台にある。

が、100%生まれながらのものではない。

人間に懐かないイヌがいても、それはそのイヌが生物学的欠陥があるわけでない。

 

そして、次のように続く。

 

むしろ、感受性を養うような育て方をしてこなかったことに原因がある。今からでもていねいに面倒を見れば、挽回は可能だろう。

 

犬は潜在的に人への同調性を持っているが、

人がそれを開花させられる環境や経験を準備しなければならないということ。

 

リードは『きみはだいじだヨ。』の気持ちを伝える道具…

乱暴に扱えば、犬の人に同調する感受性は育たないよね。

だって、嫌だし不快だもの。

こんな人に誰が合わせるものかってね。

だから、リードはていねいで親切に。

 

 

『この人とつながっていれば安心。』

そう思ってもらえたらサイコーだね。